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コラム 『種と畑』
"良い種をまけば必ず育つ"

"良い種をまけば必ず育つ"といわれているが、良い種の基準は何であろうか?頭が良い?勉強が出来る?それとも、素直?というように良い種の基準を考えてみよう。


種と畑最近の獣医大学の学生さんは、勉強は医学部並みかそれ以上といわれ「頭の良い種」であると理解できる。しかしいくら頭の良い種でもこの小動物の社会で必ず育つとは限らない。これは種の考えがどのように育ちたいかの夢や希望がなくては育てたくても育つものではない。ただ儲かりそうな職業だからこの社会に入ってみたということで、信念や適正が無いのにうまく育つわけが無い。 医者は人が好きで医者になる人は少ないと理解しているが、小動物獣医師は動物が好きで獣医師になるという根本が違うように思っていた。しかし、最近の獣医学生は、小動物の病院も増えてしまい開業しても儲からないのではないかと言うような不安や愚痴を言う学生達と接することがある。これもまた医師に近づいて来ていて、基本となっていた「動物が好き」という想い入れはなくなってしまっている

私は子供のころから小動物の臨床をやりたかった夢がそのまま維持されていて、儲かるか儲からないかはぜんぜん考えに無かった。私が獣医師になったころは、小動物の臨床に進む者は出来が悪い、すなわち大学にとっては会社にも入社できないどうにもならない種達であった。また、それを育てる畑となる獣医大学は小動物には無関心。動物病院はというと種を育てる気のある動物病院は無かった。種を雇うのは労働力に過ぎない。実際には山村穂積という種は栄養が無い荒地に落ちたような種だったと思う。栄養を求め、陽を求めて模索し、芽を出し、枝を張り、実を実らせるにはそれなりの時間が必要であった。
私はこうしたい、ああありたいと言う想いが強かったことで、その想いが実ったと思っている。
そこで、「良い種とは、想いの強い種」ということに定義できる。想いの強い種であればどこにまかれても強く生き必ず育つであろう。また、動物病院である畑が良ければ更なる成長をすることは明らかである。学問や技術と言う肥料があり、よく陽を当てれば、それこそほっておいても自然と育っていくものであるから、"良い種をまけば必ず育つ"ということになる。

私たちの責任は、"想いの強い種"になるように後輩を指導していくことだろう。



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