TOP >コラム>『どうぶつの意識と気の流れ』 サイトマップ | お問い合わせ
 
Column

夢を生かそう
理念は心の中にある
紳士と時代
人材は人財である
種と畑
「当たり前」はどれ


どうぶつの意識と気の流れ
どうぶつの意識II
家の中で暮らすペットの病 1
家の中で暮らすペットの病 2


『人生』を考える
才子と愚鈍
一隅を照らす
 

コラム 『どうぶつの意識と気の流れ』
 病気という字は、気の病と書くように"気"という字が日本語の中に多く使われています。
日常使われている言葉の中に、元気は気の元、空気は気が空、気にする、気負う、気張る、気ずかう、覇気、気力、人気、短気、勇気、気分、気色などと挙げたら切りがありません。

 これらの単語を良く見ると、人間だけではなく動物も植物も、総ての事物間において、気という目に見えない動きが確実に存在していると思います。"気"だけを取り出して「気とは何ぞや?」となると何か特別なもののように思いがちですが、簡単にいえば気とは「流れるエネルギー」といえるでしょう。その気の流れ、エネルギーの流れがスムーズに通過しない所に病気が発生すると東洋医学的には考える様です。
どうぶつの意識と気の流れ さて我々臨床獣医師は毎日のように飼主さんと、動物に接触しています。そしてそこにはお互いの気の流れを感じ取っています。飼主さんは病院のドアーを開けて入ってきた瞬間から、何かを肌で感じ取っています。それは意識する場合もあるし、無意識に感じている事もあります。何かわからないけどいい感じとか、いい雰囲気だとか、ほっとするとか、逆に何か冷たい感じがするとか、違和感があるとか、それは飼主さんだけでなく動物も感じているのではないかと思います。飼主であるご主人の心の動きを動物はいち早く察知する能力を持っています。何故ならば人には何かを伝える言葉や、文字がありますが動物は感覚や波動で瞬時に自分にとっていい事か、危険な事か楽しい事かなどの捉え方をします。特に飼主さんの心の動きには敏感に反応し、犬はご主人の心を読み、いらいらしていたり、悩んだり疲れていたりすると訳もわからず心配します。
先日も「テレビでご主人の帰ってくるのがわかる犬」と放送していましたし、実際我々は多くの事実を見聞きしています。例えば猫を病院に連れて行こうとキャリアバックを探そうと思った瞬間すがたを隠してしまったとか、さあ散歩に連れて行こうかなと思ったら喜んで紐をくわえてきたとか、少なくとも患者さんから聴いたことがあると思います。犬が病気の時、飼主さんは心配で抱きながら泣く事があります。でも犬自身は自分が病気で悲しいとは思っていないと思います。逆にご主人の泣いている姿を見て、心を痛め何とかしようと飼主の頬をなめている姿を見かけます。このように動物は人が考えているような、損か得か、どっちがいいか悪いか、計算、打算、明日どうしよう、10年後に備えて保険をかけておこう、というような事は考えていない筈で"今"を生きています。
 人は生まれてからずっと"何かと比べる"ことに馴らされてきていますからどうしても動物に対しても比べてしまう。人間側から見た物差しで総てを計ってしまいがちです。でも動物はその瞬間瞬間で思いのままを損得なしに動きます。まっしぐらにご主人を愛していて、"愛"という言葉も理屈も知らず"愛"を知っているのが動物たちだと思います。
我々人はこの人間社会に生きている分だけ、損か得かという垢がついてしまっているので、なかなか素直に愛を表現できなくなってしまったようです。人は動物たちがあまりにも素直に、当たり前に純粋に愛を表現する姿を目の当たりにした時、フッともともとの自分に出会った感動が動物に対しての深い愛おしさに繋がるのでしょう。
では何故動物が病気になるのでしょう。
特別な事(遺伝性、医原性)がない限り、蚊も蝿も豚も人も元来パーフェクトでこの世に生まれてきていると思います。そして身体はホメオスターシスといい、ヤジロベーのように元へ戻るように出来ています。しかし様々な要因によって自分の力では元に戻らない状態になった時、これを称して病気になったというのではないかと思います。その病気を治すという事は、元に戻す為、元に戻せる身体になって貰う為に手助けする、支えることが医療という言葉で置き換えていると思います。何故ならハンカチとハンカチを糸で縫えば見た目にはついたかのように見えますが、糸をはずせば離れます。しかし我々は皮膚を縫う作業は知っていまが、つくのは体の作業です。材木と材木もしかり。骨がつくという事は凄い事だと思います。トカゲの尻尾が生えてくる事は奇跡ではなく、命のあるものは動植物を問わず生きていれば再生する能力持っています。その力を発揮させる為に医療人は何をなすべきかを考えなくてはならないので、それには注射や薬や医療器具などがあるのですがその中に大きな存在として眼には見えない生きる力を発揮させる為の原動力とでもいえるエネルギーの動き、気の動きを発揮させる事も大きな医療の一つと考えるのです。治癒という字は癒して治ると書きます。専門的な医学と道具を活かすと同時に、心やエネルギー(気)の全体的な癒しがあってこそ、元来の姿に戻ろうとする力が発揮され、身体に作用するのだと思います。

 では次回この目には見えないエネルギーの動き、力をどのように発揮させ、自己免疫力を高めるにはどの様にしたらいいかを、わずかな私の経験のなかで書いてみたいと思いますが、以上のようなことを想いつつ、日常の診療の中で病気の動物に対する心の接点を常に心がけ治療のひとつとして組み入れたいと思っています。
2002.11  池田真三



会社概要 | プライバシーポリシー | 著作権について | お問い合わせ